今日も長文
先週テレビにダウンタウンの松本さんが出ていて面白いことを言っていた。「大日本人」の宣伝で「公開初日にお客さん入ってるの見るまでは不安でしょうがなかった。お客さん来てくれんかったらどうしょー!って思てましたから・・・」
こだまひびきなら「んなアホなぁ」とマチガイなく言っている。松本さんほどの人がそんな不安になるの?なるはずないやん、って。普通に考えたら、話題性から行ってそこそこヒットするのは目に見えているし、いかに映画がマニアックだったとしても、潜在的な松本さんのファンは決して少なくないから大コケするなんてことはない、ましては今回のは宣伝が巨大で巧み、大ヒットマチガイ無し・・・と、素人目にも思えるのですが。
当事者はえてして「客観的に見えなくなる」というものの、松本さんのよな究極の人でもそんなことがあることはオモシロかった。裏を返せば人間らしい「謙虚な姿勢」と、狂った「自己主張」がともに過ぎると、幾ら天才でも客観性を失うものかもしれない。そんなことも含めて、何年かぶりに映画見たい欲ありありです。UA出てるし(準主役?)早く行きたい。予想以上に人が多そうなのが気がかり。
同様に、アーティストの皆さんも場面々で不安はあるんだろうと思う。いや、あります。ライブやCDのセールスやリアクション。CDは数が主な判断基準でかなりドライな答えが出る。評論家の諸先生方が幾ら絶賛しても売れてなければ説得力無いもんね。ただ数はあくまで「卓上の数字」なので現実感は無いかもしれない。その点ライブはチケットの売れ数もありますが、その場のリアクションで判断出来るのでもっとリアリティがある気がする。ライブが好きなアーティストはそこのリアリティーを頼りに続けていけるよーな、ステージ立ったことないから断定出来ないよーな。でも多分そーです。
しかしながら「何やっても喜ぶお客さん」だとそれは「勘違い」に変わってしまって良くない。特に巷のワンマンコンサートでのお客さんは、殆ど全員同じリアクションだったり、何があっても許してしまう光景が多いので、アーティストの感覚が鈍る気がします。リスナーの皆さんがアーティストを殺したり生かしたりも出来るのに、良かれと思って拍手したことが実は「殺す」ことにもなったりしてます。あれ、ちょっとブラックな話し?(その逆でアーティストがお客さんを育てることもあります)
昨日の「想う壺音泉」の集計結果が出た。果たして昨日お越し頂いた皆さんが「生かしてくれた」アーティストは誰?・・・もったいぶる訳では無いのっすが、多分大丈夫なんですけど念の為交渉して確認出来次第発表したいと思います。
冒頭の話しにひっかけてもう少し。ちなみにイベントも自分でやるとまさしく客観的に見えない。例えば人がやるイベントは「これぐらい入る」という数字がだいたい解るのですが、自分がやると客観性が無くなって見えなくなる。やってる本番当日なんかは果たしてイベントが「良い」のか「どーだった」のかもよく解らない。これは何回イベントやっても一緒で、特に入魂するほど遠めで見れなくなる。客観的に見れないくらい見失うのは、結構辛い。そんな時、指針になるのは「人の意見を適量聞くこと」と「後悔しないこと」。「想う壺」は土井ちゃんとやったことで、この二つはいつもより客観的に出来たかもしれない。それが良かったのかもしれない。
書きながら思った。イベント企画は経験上、複数の人間では出来ない。一番重要な「芯」を保とうと思ったら、誰かが前に出て、誰かが折れないといけない。今回、土井ちゃんとはそのストレスが全く無かった。ラジオでしゃべる時、当日の司会、打合せしなくても僕が思ってること、言って欲しいことを全て言ってくれた。こんなことってあるんだ。好きな音楽が似ているので、共通言語が多いのは解っていたけど、この出来事は今気付いたけど凄いことだ。「企画制作:土井音泉」は、語呂とシャレだけで名乗ったのにあながちそれだけでは無かった。こんなことってあるんだ・・・これは新たな発見。
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