「想い事」
Coccoちゃんが、毎日新聞で月イチ連載していた「想い事」というコラムのスクラップを頂いた。僕は、朝日新聞なのでいつも断続的に遅れてチェックしていたのだけれど、1度に全部読める状態で貰えたのは嬉しかった。
「想い事」というタイトルが彼女らしい。日本語としてはちょっと変だけど、コラムを読み返すと違和感が無くなる。「思い」じゃなくて「想い」という言葉も意味がある気がする。
今までおおよそ明かさなかったであろう少々プライベートな出来事や、沖縄に対する「想い」や、幼少の頃のささいなことやetc・・・全てが読んでいて興味深く、普通のコラムと違うのは文章が既に「詞」として成立していることだ。通常、用いない表現、行間に存在する意味や、マジとシャレが混在する強弱のつけ方や・・・読んでいると夢中になってしまう。
僕ら凡人には、思いつかない感受性の豊かさが感じられます。
同時に6月25日発売のアルバム音源をイチはやく聴かせて頂いた。ここ数年の活動の流れからすると非常に自然に聴ける内容だった。更に間口が広い、人間や自然や過去や未来や、いろんなテーマがかいま見える優しい作品だった。初期の彼女しか知らない人にとっては、違和感あるかもしれない。でも彼女がデビューしたのは、もう10年も前のこと、、、月日は流れて人の想いも変わっていくのが自然。そっからすると全く違和感は無かった。鋭角的だった初期からすると、肌触りは確かに優しい。でも根っこにある“芯”は何も変わっていないことにも気付いた。
僕は、普段あまりアーティストにプライベートの話しを聞けない。感受性が激しい人が多いから、普通の人より確実に傷ついてる人が多い気がして、そこを敢えて聞かれるほど辛いものも無いのではなかろうか?という、これまた勝手な解釈をして(人見知りなだけやろ!)、作品やライブで勝手に推測している。
Coccoは特に、そんな話しをしたくないアーティスト。わざわざ、傷口に油を塗るようなアホなことは死んでも出来ない、と思っていた。しかし、いつもその「訳」を彼女の方から話してくれてる気がした。「想いは届く」という彼女の名言がある。「言葉にしないと解らない」こともある。今、「言えない」ことは何も無いのじゃないだろか?「言わない」ことよりも「伝わらない」悲しさの方が上まわっている気もした。だから出来ることは何でもして「伝えよう」としている。「優しい」けれど強靭な「意思の強さ」が感じられる。最高傑作だと思います。
一人でも多くの人に、是非聴いて欲しいです。
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