Coccoちゃん
もう1月も前のことになりましたが、Coccoちゃん6年ぶりのツアーがありました。関西は、神戸と大阪の2本。
神戸の前日、MgのUえのさんが「本人が1人で街を見たいので、お薦めスポッツを教えてケロ」とのこと。神戸のいいとこ・・・山と海が同居してる、食べ物が洋食・中華中心にンマイ、街並みがキレイetc、色々箇条書きした中で「人のパワーが感じられる地域として」として「長田」を紹介しました。
地震があった時、ある音楽事務所の方々がボランティアを行なっていて、会社の命で僕もそこに参加させて頂いた。全く持って僕は何の役にも立たなかった。現地に泊まり込みで10日間、役には立たないけれど学んだことが幾つかあって。ひとつはそんな壊滅的な状況で感じた「人」の「強さ」。主に一番被害にあった長田地区をまわって、それをひしひしと感じた。みんな健気に明るい。水を汲んだら逆に気遣ってくれたり、お年寄りのお話し相手になってたら逆に「頑張れよ!」と励まされたり、仮設テントの方に不自由が無いか伺うと自分で作った即席の家がいかに凄いかを自慢されたり・・・・今にも途方にくれて泣き出しそうな寸前で皆さん上を向いて笑い飛ばしていたのです。皆さん一様に「強かった」のです。若しくは、そう「ふるまえる」、「強さ」を持ってはったのです。
もひとつ学んだのは、そんな直後の極限状態では「音楽」なんかは何も役に立たなかったこと。しかし、ギリギリを少し超えた時期にソウルフラワーユニオンの皆さんがストリートで演奏を始めたり、更地になったチキンジョージでゆかりのアーティストの方々が集まってコンサートを開いたり、泉谷しげるさんが中心になってメリケンパークで有志のミュージシャンの方々がコンサートをやったりetc・・・。一定の時間が経った時に「音楽」の持つ力がもの凄く発揮されたのも事実。この時思ったのは「餅は餅屋」の精神。なんかあった時に、自分が「何が出来るか」を考えて実行すること。それはボランティアという直接的なことで無くても、人それぞれが出来ることをやればナニかが出来るということ。一線のアーティストの皆さんはその辺りの嗅覚が抜群でした。そう思って、関西の有志の方と始めたのがチキンジョージで1年後にイベントを始めた「ROCK AROUND KOBE」というイベント。プレハブで頑張ってらっしゃった神戸国際会館さんや、意地で再開されたチキンジョージさんに少しでもブッキングすることで、神戸が元の状態に数ミリでも近付けば、僕らのような仕事してる人間も少しは役に立つのかもしれない。結果は解らんですけど。学んだのはこの二つ。「人間の強さ」と「餅は餅屋」
話しがそれました。そんなことがあって「長田」をお薦めしたのです。詳しくは何も書かず、「ヒトヂカラが凄い」的なことだけ付け加えて。
神戸の本番日、聞くと「長田」に行ったとのこと。おまけにたまたま盆踊りやってて「アラレちゃん音頭」も踊ったらしい。焼きそば買おうと並んでいたら、どんどん横入りされて、あげく売り切れて、焼きうどんで我慢したとも。ザッツ長田パワー。しかし、1人で見知らぬ土地に行ってそこまで庶民的な行動をするところが、Coccoちゃんらしいとも思った。
ライブの後半に、地震のことに触れて「神戸で歌える曲がやっと出来たので、ここに来れました」と披露された「日の照りながら雨の降る」は、あまりにも感動的で、そこから最後までは本人もお客さんも前がぼやけて前が見えない状態。「思い」が客席の隅々まで届きすぎてるのが解って、僕のつたない文章ではこれ以上無理です。
別に大阪2DAYSでも良かったのに、神戸でやるのはCoccoちゃんの希望だった。大賛成。そこには何らかの「意味合い」が絶対にあると思った・・・もう、それは予想を遥かに上回る「意味合い」のコンサートだった。「人の強さ」と「餅は餅屋」がフィードバックした。
明けて、大阪のコンサートは神戸とガラッと変わる内容だった。神戸が「感傷的」であったとするなら、大阪は「笑顔」に溢れた内容だった。何度かコンサートをした場所であることと同時に、以前までは「いつ終わるか解らない不安」がライブ中にもあったのが、この日は「終わらない安心感」に溢れた前向きなコンサートだった。昨日あれほど泣けた「日の照りながら・・・」では、歌詞を間違える大失態もプラス作用で笑顔に変わって全く逆のベクトルの曲に聴こえた。ステージ上も客席もみんな笑顔で終わったコンサートだった。以前にFM802に出た時に約束した「ポロメリア」が聴けた。約束を絶対守る誠実さも、この人ならでは。
ここから確実にまた何かが始まる予感がした。
その後8月15日に沖縄でツアー最終日、というか毎年恒例の「ゴミゼロ大作戦スペシャル」があった。意外にも沖縄で、ちゃんとチケットを販売したワンマンコンサートは初めて。沖縄に対する愛情が強すぎて出来なかったコンサート。それも8月15日という沖縄の方にとっては、重き意味を持った日。これは、リスナーとしては非常に見たいコンサートでありながら・・・ちょっと複雑の気持ちがした。
予想は当たった。冒頭のMCで「本土から来た人には申し訳無いですが、この会場の3分の2以上の人が沖縄県民であることを祈ります。」
そりゃそうだ・・・沖縄の人に向けて当然歌いたいのは解りきっていた。本土の僕が、それも招待券で見るなら100万倍県民の人が見るべき意味合いの内容だった。
またまた自分の話しで恐縮ですが、僕のお婆ちゃんは沖縄の人でいまだ健在。85歳で全くもって戦争体験者なのです。で、いながら、全くその悲惨なことを語らない。明るい話ししかしない。僕の知る限り、沖縄の方は一様にそんな気がする。悲惨すぎて語れないのか、若い人達には「知らなくていい」と思ってるのかどっちか。まったくおくびにも出さない。
そんな話しをCoccoちゃんもしていたと思う。それを踏まえて、沖縄に住む人間がどうあるべきか?次の世代がどうあるべきか?語っていたように思う。いつもより格段にMCが長かった。やはり、本土の僕は見るべきでは無かった。
Cocco史上初のアンコールで聞けたのは「強く儚い者たちへ」。間違いなく沖縄のアーティストが、沖縄でしか出来ない、その日その場所でしか有り得ないコンサートだった。自分が、そこに居ること以外は全てが最高だった。
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