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2006年4月30日 (日)

バーベキューで親父を想う

   祝日。会社の皆さんとバーベキュー。

今年は春に花見とかやらなかったので、忘年会以来の社内行事。

僕はもっぱら食べるの専門で、何の役にも立たないダメ男君。

 アウトドア嫌いじゃ無いんですけど、フジロックとか行ってもテントとか絶対にはれない。「不自由を楽しむ場所」なのに、不自由がダメなのです。近くのホテルとかに泊まってしまう。フジみたいな場所では、あるまじき行為。アウトドアで生活出来る人、尊敬します。

 バーベキューやった場所は服部緑地公園。実家が近くて、子供の頃良く親父に遊びに連れてきて貰った場所。

 どこかしこキレイに改築、造園されていながら、昔遊んだタコの形をした滑り台とかも残っていて、忘れてた昔のこと思い出したりして感慨深め。

 初めて、自転車に乗れたのも、キャッチボールしたのも、ザリガニやブラックバス釣ったのも全部この公園だった。

 うちの実家は散髪屋やってて、土日は店があるのであんまりどこにも連れていって貰えなかった。ただ月曜が休みなので、春休みとか夏休みの月曜には決まってこの公園だった。

 当時、何も言わなかったしこっちも何も思わなかったけど、僕が大人になって、親父も退職してから、しきりにそのことを謝っていた。全く気にしていないのに、いつも「どこにも連れていけんかって、ごめんな」とたまに会うと、謝っていた。

 逆に、自分が仕事始めてからは忙しくて親孝行らしきものが全く出来なくなった。会うのは、盆と正月ぐらい。盆もままならないので、年に1回正月だけって時も多々あった。

 「申し訳ないなぁ・・・」と、心のどこかでは思いながら、日々の仕事に流されてどんどん月日はたっていった。

 そうこうしてるうちに2年前、親父は倒れてしまい半年後に逝ってしまった。

 結局、親孝行と呼ばれるものは何もしていない、全くもって最低の息子で終わってしまった。

 更なる後悔はその昔、機関車の運転手を目指して広島の学校に通っていた親父は、昭和20年の夏に運悪く被爆してしまった。奇跡的に一命を取り留めた一週間意識が無くて。全く気付かなかったけれど、後遺症もあったらしい。手や体にやけどの跡があって、子供の頃「それどうしたん?」と聞くと「ゴキブリに噛まれたんや!」と、アホなことを言ってはぐらかしていたが、僕は幼心にそれを信用してしまい、以来ゴキブリが大の苦手になってしまった。

 ・・・いやいや、そんなことが後悔では無くて、親父は被爆したことを最後まで僕には何も言わなかった。おかんに教えて貰って知ったのは大人になってから。最後まで親父の口からは何も聞かされなかった。聞こう聞こうと思って、聞くタイミングをとうとう逃してしまった。

 これは一番後悔した。思うに、僕には聴いておく「義務」があった。聴いて、人に伝えないといけない「義務」が。

 おととし、親父がもうやばい時に広島球場で民生さんのライブがあった。ライブは、もう格別なものだったのは言うまでもないのと同時に、民生さんの広島への「思い」を感じた。決してライブ中、口にすることは無かったけれど、並々ならぬものを感じた。

 飛躍しすぎかもしれないけれど、広島という土地の背負っているものの深さを感じた。親父のような目にあった人が当たり前に居るであろう土地。悲しい事実を背負わされてしまったけれど、タフで力強い街。偶然か何かの縁か解らないけど、そのタイミングで広島に行けたことを感謝した。

 うん、でもこれは考えすぎ。民生さんにはイイ迷惑。僕の勝手な妄想。妄想だけど、そう感じた。

 バーベキューのことを書くつもりが、ぜんぜんあらぬ方向へいってしまった。私的すぎて、書くかどうしようかも途中で凄く迷った。何が言いたかったわけでも無いのに・・・・。しいて言うなら「親孝行は親の居るうちに!」と、僕が言うのはおこがましい。説得力ゼロ。

 うん、これにしよう。「戦争反対!」反対する義務が僕にはあるので、これは説得力多少あり。断固反対!します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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