フィッシュマンズその1
昨日夢のようなフィッシュマンズのライブが終わってしまった・・・
4時間を越える内容で大満足・・・ながら「この時間がずっと続けばいいのに・・・」という佐藤君がいた頃のライブと全く同じ感想を持った次第。4時間が「あっ」という間に過ぎてしまった。
僕がフィッシュマンズを初めて見たのは‘90新宿ロフトだったと思う。当時世はバンドブームで猫も杓子もバンドデビュー出来る時代。僕は会社の命を受け東京にバンドを見つけに行くことになったのでした。(俗に言う青田刈り!)めぼしいイベントを幾つか見つけ、その中で出会ったのがフィッシュマンズ。ロックステディなその独自な感じは他にいなかった。ダブの要素は当時まだ感じられ無かったけれど。聴けたのは「チャンス」「ひこうき」「あの娘が眠ってる」とか・・・凄く良かった!仕事上「青田刈り」だから、アポをとらなければ!と、ライブが終わって物販を売っていた女性に声をかける。すると偶然「りぼん」という既に親しくさせて頂いている事務所の方でとんとん拍子に話しが進む。
「なんとか大阪の人にも見てもらいたい!」ということで、大阪はミューズホール、京都磔磔でスケジュールを組む。地元のバンドの方とイベント。当然お客さんはしぶい。でも、関西での第一歩が踏み出せて少し満足。「チャンス」の佐藤君のトランペットが異様に心に残る。
その後「傑作」だったのが、神戸のチキンジョージで当時まだ大阪に居た「ウルフルズ」と今では信じられない非常にセンスの無い対バンイベントを組む。お互い、「フィッシュマンズは東京では凄い!」「ウルフルズは大阪で凄いらしい!」と勝手に思っていたらしく、いざ蓋を開けるとお客さん100人も入らずで、お互い終わった後、複雑な思いをさせてしまった・・・。若気の至りでした。
その後、何回かライブを組むもずっと150人ぐらいで動員が伸び悩む・・・。佐藤君も「良いことやってるのになぁ!」とステージでウケ狙いも兼ねて切れ気味に言っていたこともあった。結果が出ないのにはがゆかったんだろうなぁ。気持ちは解るし責任も感じた。確かにライブもCDも良いのに。
ある時期からPAで、ZAKさんが入った。そこから状況が変わっていった。「ライブが良い」から「圧倒的に良い」に変わってきた。曲で言うと「Go Go Round~」の頃だったような。そのライブの時の気持ち良さと言えば、筆舌し難い。2時間ずっと体を預けれる感覚。クアトロでいつもライブを見る時に決まった場所がある。そこは低音が凄くたまる場所で、欣ちゃん・譲君のリズムがメチャクチャ気持ちイイ。2時間ずっと目を瞑って揺られる。あまりの気持ち良さに「この時間がずっと続いて欲しい・・・」とライブの度に思わせられる。クアトロではその場所でライブを見るのが今でもクセになってしまった。
ライブが「圧倒的」になってきたら動員も増えていった。
大阪から西へツアーへ出れるようになった。当時フィッシュマンズはマネージャーの人が不在で、メンバーとZAKさん、楽器さんと自分とで数回ショートツアーを廻らせてもらった。僕の仕事は、色々。お金が無いので現地でプロモーターもつけれずライブハウスに直接やりとりして色々段取りして、物販やって、お客さんの整理してetcまぁ、雑用全般です。でも、これはお金にならなかったけどその後、僕の財産になった。ツアーをしてバンドが上がって行くのをマジマジと見せて貰えたのです。以前このコラムでBO GUMBOSに「ライブバンドとは何ぞや」と教えてもらったと書きましたが、フィッシュマンズにもツアーに同行させてもらって同じことを教えてもらったのでした。場所によっては環境が悪かったりしても、そこで良いライブをやる力量はツアーをやらないと育まれない。また昨日悪かったとこを次の日すぐ修正出来る。結束も固まる。バンドにとっていかにツアーをやることが先々に大切かを教えて貰ったのでした。
この頃のツアーは「Oh!Mountain」というライブ盤になっている。フィッシュマンズが殺人的にライブが良くなる、丁度右肩上がりの頃でその感じが録音されている。非常に好きで思い入れもある1枚です。
あとPAのZAKさんが毎回会場でマジックを起こしたのも敬服。PAと言うよりはこの頃からメンバーと言っても過言で無かったかも。
しかし、明らかにフィシュマンズは世のバンドシーンから浮いていた。メジャーでダブバンドなんて他に有り得ない状態。イベントとか合うバンドがまず見つからない。当時フジロックが開催されていれば間違いなく「フィールドオブヘブン」の主(ぬし)になれたと思います。何かにつけ早かったのですね。
その中で唯一関西で良かった対バンがチキンでやった「東京NO1 SOUL SET」確か「ナイトクルージング」にBIKKEが参加してくれたり。これをきっかけに人見知りの佐藤君とBIKKEは仲良くなったのでした。
「人見知り」は僕の勝手な印象ながら、佐藤君はあまり喋らなかった。ユーモアセンスは抜群でステージMCで良くそれは発揮された。コーネリアスと同じイベントに出たらMC1発目に「どうも!小沢ケンジです!」。。。これ売れてるバンドがやると寒いけど、全然売れてないバンドが言うとオモシロイ。そのまま言い切って、投げっぱなし!お客さんに全く媚びないギャグを良くかましてました。でも実際は優しくて、スタッフが結婚したりすると「いかれたBaby」をやってお祝いしたり。でも口では直接的にそういったことを言うことは無かった。羞恥心旺盛で感受性も人数倍。ステキなアーティストはそんな人が多い気がする。見てないようで非常に隅々まで見えている繊細な人でもありました。
お互い「猪木信者」で、良くプロレスの話しはしたけどそれ以外はあんまり話さなかった。記憶に残っているのは、猪木の引退試合を見に「行く・行かない」で最後まで悩んでいた佐藤君に、チケットをとっていた僕は「見ないと一生後悔する」とか「今の猪木は痛々しくて見てらんない」とか・・色々話し込んで。後で聞くと結局当日券を買って見に行ったらしい。東京ドームで僕は3回号泣した。(ちなみに6万人はほぼ号泣である。信者だから当たり前)その時の感想を交わすことなく佐藤君は逝ってしまった。
フィッシュマンズは大阪でも最高でクアトロ2日が売り切れないバンドだった。でも昨日のなんばHatchはなんと即日完売!キャパシティはほぼ倍。
フォロワーのアーティストが少しづつ増えてきた。フジロックのような素晴らしいイベントが良質な音楽ファンを増やしている。時代は少しづつ変わってきた。「今、佐藤君が居ればもっと評価されたのになぁ・・・」と悔しく思うことがたまにある。
昨日担当レコード会社のSさんが言ってたのが、こんなに過去の功績が評価される例は日本ではあまり無い、って。確かにそんな気がする。どこまで行けるかこれからも楽しみ。フィッシュマンズ信者がこれからも増えますように。
あー、凄く長文になってきた・・・。次、昨日のライブのレポートします。今日はこの辺で。
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